2018年08月05日

13.ポゴレリチの演奏に思う。

先日、師匠である大野眞嗣先生のご自宅で、NHKで放映されたポゴレリチが奈良の正暦寺福寿院客殿でピアノを演奏する映像を見せて頂いた。

何と言えばよいのだろう……シンプルでありながら、非常に多くを語りかけてくる演奏。
雄弁でありながら、水を打ったような静寂に支配された演奏。

“演奏活動から遠ざかっていた時期に、とにかく響きに耳を傾ける事を課題としました。”
“響きの構造に耳を傾けるのです。”

演奏の合間に挿入されたインタビューの中でその様な話があったのだが、ただひたすらに立ち昇る響きに耳を澄ませ作品の深奥へ分け入っていくその演奏には、静かでありながら強烈な存在感があり、引き込まれずにはいられなかった。

演奏には情熱が必要だ。
だが奏者の情熱(エネルギー)が何に費やされるかによって、その演奏は全く異なる印象を生む結果となる。ポゴレリチは私ごとき凡人が想像もつかない程、“響きに耳を傾ける”事に膨大なエネルギーを費やしているのだろう。
弾くのではなく、聴く。
それを極限まで突き詰めると、人は瞑想の境地へ至るのかも知れない。

改めて思った。
響きを聴くとは、何と奥深く、神秘的な行為なのだろうと。



posted by tetsumichi at 07:00| 演奏家

2018年08月01日

【演奏会情報】吉永哲道 ピアノリサイタル  ドイツ音楽、探訪 〜祈りと想像を求めて〜

吉永哲道ピアノリサイタル
ドイツ音楽、探訪 〜祈りと想像を求めて〜

私の核である、ベートーヴェンの音楽。
今回のリサイタルは、そのベートーヴェンのピアノソナタを中心に、バロックからロマン派に至るドイツ音楽の精神をお伝えできればと思っております。
吉永哲道


〈日時〉
2018年9月11日(火)18時45分開演(18時15分開場)
〈会場〉
日比谷スタインウェイサロン東京 松尾ホール
〈出演〉
吉永哲道(ピアノ)

〈曲目〉
《希求する心》
J.S.バッハ=F.ブゾーニ:
コラール前奏曲「目覚めよと呼ぶ声す」 BWV645
J.S.バッハ:
フランス組曲第2番 ハ短調 BWV813
L.v.ベートーヴェン:
ピアノソナタ第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」

《想像の世界へ》
R.シューマン:
ユーゲントアルバム op.68より 第30曲 ヘ長調
幻想曲 op.17

〈入場料〉
全自由席 3,500円
〈主催〉
音楽企画「マイスキーヴェーチェル」
〈後援〉
愛知ロシア音楽研究会
株式会社ヤマハミュージックジャパン
認定NPOおんがくの共同作業場
〈チケット取扱い〉
音楽企画「マイスキーヴェーチェル」
e-mail:mv-pro@live.jp
おんがくの共同作業場
http://www.gmaweb.net/npo/
Tel:042-522-3943

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2018年07月25日

12.チャイコフスキーの風景。

彼の絵に
私は音楽を聴く。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが
ピアノの為に書いた小品のような
素朴で美しい音楽を。


イサーク・レヴィタン(Исаак ЛЕВИТАН 、1860〜1900)。
このロシアの風景画の名匠の名も作品も、私はモスクワへ留学するまで全く知らなかった。

ある時音楽院のロシア語の授業で、私がレヴィタンの絵画を好きだと知った先生が、彼の絵画について教えて下さった事がある。
『ヴラディーミルカ(Владимирка)』と題された、地平線に向かって伸びるだだっ広い一本道と、どんよりと曇る空が描かれた一枚の大きな絵。
一見それだけなのだが、よくよく見ると、中央より左寄りの地平線上に小さな教会が描き込まれている事に気付く。
ドストエフスキーの『罪と罰』の中にも出てくる、かつてシベリアへ流刑となった人々が必ず通った道であるヴラディーミルカ。そして、彼方の地平線上に小さく描かれた教会。これらが意味するのは、流刑される人々の絶望と、ひょっとしてその先にあるかもしれない僅かな希望……そんなお話だった。

チャイコフスキーの作品、例えば、『四季』作品37bのページを開いてみよう。
そこには、四季折々の情景とともに、都会の喧騒から離れ自然が身近であるからこそ感じられるほんのささやかな変化、それを体験する人々の繊細極まりない情感が、鮮やかに描写されている。私がレヴィタンの絵に音楽を感じる、何故かチャイコフスキーの音楽を連想するのは、音楽と絵画という分野の違いはあれど、彼らが風景を通してその地に生きる人々の《魂》を歌い、描いたからではないかと思っている。

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posted by tetsumichi at 11:30| モスクワ

2018年07月20日

11.想像力

何処にも行った事のない小さな子供に、
遠い旅から帰ってきた大人が話をしている。
別の国の人々がどんな暮らしをしているか……
想像してほしい。
これは19世紀中頃のお話。
今の時代は、ヨーロッパでもロシアでもアメリカでも、
よその国の事をテレビなどで見聞きできるけれど、
シューマンが生きていた頃はその様な事はなかった。
見知らぬ異国に、自分たちとは全く違う人々が住んでいる。
そんなお話を、綺麗な目をした子供たちが
その目を見開いて聞いている。
ここには、何かそう言った驚きがある。


R.シューマンのピアノ作品、『子供の情景』作品15の第1曲、“見知らぬ国と人々について”にまつわるお話。
こう言うお話を聞くと、人間の想像力を育むものとは何なのだろうと、改めて考えさせられる。そして、彼ら(クラシック音楽の作曲家たち)がいったいどれ程の豊かなイマジネーションを持っていたのだろうと。更には、その音楽を私たちが弾く意味は何なのだろう……果たして演奏家は作品から何を受け取り、何を聴衆と分かち合うべきなのだろうと。

そんな事に想いを馳せると、また演奏の在り方の一つの理想が見えてくる(前回の記事では、作曲家の良心について書かせて頂いたが)。
それは、想像力。
とりわけ、ロマン派時代の作品は芸術家の詩的想像の宝庫だ。
情景、物語……何でもよい。
その演奏から聴き手が何か新鮮な驚きと自由な想像を得られるならば、こんなに素晴らしい事はないと思う。
posted by tetsumichi at 07:00| 音楽について

2018年07月15日

10.良心。

「私はこれをしなければならない」と言う
使命感に突き動かされて、
行動している人がいる。
「私はこれをしたい」と言う
自分の欲求を叶えようとして、
行動している人がいる。
あくまで生き方の違いであり、
是非の問題ではない。
ただ私は、
前者の様な生き方をしている人たちに
心をひかれる。


『できるだけの善を行うこと、
何にもまして自由を愛すること、
そして、たとえ王座のためであろうと、
決して真理を裏切らないこと。』
L.v.ベートーヴェン

音楽史上初めて、音楽家は職人ではなく芸術家でなければならない、との意志表明をした人物が、ベートーヴェンであると言われている。彼の音楽が不滅であり、人々の心を感動させ続けているのは、何よりその根底に力強い良心があるからだろう。

音楽に誠実である事。
人生に誠実である事。
良心を失わない事。

勿論、ベートーヴェンも人間だった。
私はその音楽、存在を盲目的に神聖化するつもりは全くないが、それでも尚、かくも自身の良心に忠実に生きたベートーヴェンの人生に驚きを禁じ得ない。
心を導く。
恐らくそれが、芸術の力なのだ。

かように、音楽作品とは、突き詰めると作曲家の良心の結実とは言えまいか。
そして、作品に込められた彼ら(作曲家たち)の良心を演奏家と聴衆の間で共有出来る場が、演奏会なのだと思う。
演奏会が、奏者の自己満足(力量のアピール)に終わってしまってはいけない。
ただ聴き手を楽しませる事が、第一目的になってしまってはいけない。
なぜなら、これらは全て、演奏者側からの一方通行になり得る危険性をはらんでいるからだ。音楽を「共有する」事が私たちに聴く喜びや深い感動をもたらすのであり、演奏者側に「分かち合い」の思いがなければ、文化としての音楽の価値は著しく低下してしまうように思う。

真の芸術とは、決して刹那的な娯楽ではなく、私たちに生きる希望を与えてくれるものなのだから。


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posted by tetsumichi at 07:00| 音楽について