2022年08月25日

【演奏音源】2011年9月18日の演奏会より。(S.ラフマニノフの作品)

【継承されるピアニズム 〜ショパンからロシアロマン派へ〜 吉永哲道ピアノリサイタル】より

S.ラフマニノフ:
プレリュード嬰ハ短調 op.3-2(通称「鐘」)
メロディー ホ長調
ガヴォット ニ長調

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano
2011年9月18日、宗次ホールでの収録

冒頭のあまりに印象的な、3つの音によるモチーフ。
「鐘」の通称で広く知られる嬰ハ短調のプレリュードは、ラフマニノフが18歳、モスクワ音楽院を卒業後間もない時期に作曲されました。

「私は度々、私がこの音楽を作りながら、何を想像していたのか、言い換えるならば、インスピレーションの源は何だったのかと尋ねられました。(音楽院を卒業したばかりで)お金を稼ぐ必要に迫られていた事の他は、ただ何か美しく芸術的なものを創作したいという望みが、私を感化していたのです。」

ラフマニノフの初期作品において既に、私たちは、彼の唯一無二の輝かしい個性を聴き取る事ができます。
それは、「ロシアそのもの」である事。
彼の音楽にはロシアの文化、自然……全てが内在し、それこそが、今尚多くの人々を魅了し続けて止まない所以なのでしょう。

吉永哲道


posted by tetsumichi at 07:00| 演奏音源

2022年07月25日

【演奏音源】2011年9月18日の演奏会より。(A.スクリャービンの作品)

【継承されるピアニズム 〜ショパンからロシアロマン派へ〜 吉永哲道ピアノリサイタル】より

A.スクリャービン:
エチュード op.2-1
エチュード op.8-2

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano

2011年9月18日、宗次ホールでの収録


「第2番は間違って解釈されることが多い ─ ドラマチックすぎる演奏が多いが、これは元来悲劇的な音楽なので、情熱は抑制されなければならない」
スクリャービンの音楽の偉大なる解釈者であったヴラディーミル・ソフロニツキーは、作品8-2のエチュードに関してこのように言及しました。

“悲劇性”が、スクリャービンの初期作品における感情の発露を比類なき芸術の域へ高めている事は疑いようがなく、作品2-1のエチュードもまた、悲痛な苦しみの吐露、絶望的な気分に支配された作品と言えるでしょう。
わずか14歳にして、スクリャービンがこのエチュードを作曲し得た事実に……私は人間の創作活動の奇跡を思わずにはいられないのです。

吉永哲道




posted by tetsumichi at 07:00| 演奏音源

2021年12月24日

【演奏音源】2009年3月27日の演奏会より。(P.チャイコフスキーの作品)



【ロシアの鐘、その深遠なる響き 吉永哲道ピアノリサイタル】より

P.チャイコフスキー:
子守歌 op.16-1(P.パプスト編曲)

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano

2009年3月27日、宗次ホールでの収録


《音楽の力が素晴らしいと思えるのは、歓喜だけでなく苦悩をも表現する事にある。》
子守歌に暗く悲しい曲調が多いのは、実親ではなく、子を世話する乳母が自身の身の上の辛さ、苦しさを吐露する歌だからだと言う話を、どこかで聞いた事があります。

1878年にドイツからロシアに移住し、ピアニスト、教育者として活躍したパーヴェル・パプスト(1854-1897)は、チャイコフスキーの作品の校訂なども行っており、彼の音楽をよく理解していたのでしょう(チャイコフスキーの方でも、パプストの音楽家としての才能を高く評価していたようです)。この子守歌の編曲も、原曲の雰囲気はそのままにカノン等の巧みな技術を取り入れ、大変魅力的に仕上げられています。

歓喜だけでなく苦悩をも……例えばこの曲に耳を傾ける時、冒頭のチャイコフスキーの言葉は私たちを深く頷かせてくれるに違いありません。

吉永哲道

posted by tetsumichi at 00:00| 演奏音源

2021年12月21日

【演奏音源】2009年3月27日の演奏会より。(S.プロコフィエフの作品)



【ロシアの鐘、その深遠なる響き 吉永哲道ピアノリサイタル】より

S.プロコフィエフ:
ピアノソナタ第7番 op.83

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano

2009年3月27日、宗次ホールでの収録

2021年、生誕130年を迎えたセルゲイ・プロコフィエフ。

第7番のピアノソナタは、私が初めて“真剣に”取り組んだプロコフィエフの作品です。確か高校1年生の時ですが、当時の私はプロコフィエフ特有の近代的で不協和な響きになかなか馴染めなかったのでしょう、譜読みも遅々として捗らず苦労した記憶が残っています。

2008年、アンドラ国際ピアノコンクールを受けた際にこのソナタをプログラムに入れ、嬉しい事に、審査員長であったロシア人の先生が高く評価してくださいました。
「素晴らしい演奏だった。特に第3楽章で、僕はソコロフの演奏を思い出したよ。けれど、君の演奏にはまだ何かが足りないね。」

まだ何かが足りない。
幸いな事に、当時の自分に何が足りなかったのかを、私は時を経て理解できるようになりました。

2022年2月8日、大泉学園ゆめりあホールでのリサイタルで、久方ぶりにこのソナタを取り上げます。個人的にこの2009年の演奏音源は嫌いではないのですが(笑)、リサイタルでは、一層進化した演奏をお届けしたいと思っています。

𠮷永哲道

posted by tetsumichi at 07:00| 演奏音源

2021年07月28日

【演奏音源】2014年3月22日の演奏会より。(R.シューマンの作品)

【ポリフォニー音楽の神髄 Vol.2 〜知性と情緒の融合〜 吉永哲道ピアノリサイタル】より

R.シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集 Op.6

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano

2014年3月22日、宗次ホールでの収録


《この間、オイゼビウスがそっと戸をあけてはいってきた。この男の蒼白い顔にうかぶ、皮肉な、いかにも好奇心をそそるような微笑は君も知っているはずだ。僕はフロレスタンといっしょにピアノの前にすわっていた。このフロレスタンというのは、君も知っている通り、およそ来るべきもの、新しいもの、異常なものなら何でもみな予感するという、まれに見る音楽的な男の一人だ。しかし、この日はさすがの彼もめんくらった。「諸君、帽子をとりたまえ、天才だ」といってオイゼビウスが楽譜を一つ見せた。標
題は見えなかったけれども、僕はなにげなくばらばらとめくってみた。(中略)
「さあ、やらないか」とフロレスタンがいうと、オイゼビウスが承知したので、僕らは出窓によりかかって耳をすませた。オイゼビウスはまるで霊感がのりうつったようにひいた。》

音楽評論家としてのシューマンは、自らの内にオイゼビウスとフロレスタンという異なる人格を作り、しばしば彼らに会話、議論をさせる形で作品論を執筆しました。

活発で情熱的なフロレスタン。
物静かで夢想家のオイゼビウス。

シューマンの作品を理解する上で大変重要な、対照をなすこれら二つの人格が音楽で顕著に表されたのが、このダヴィッド同盟舞曲集です(初版では各曲の最後に、シューマン自身がフロレスタンの頭文字であるF、オイゼビウスのそれであるEを書き記しています)。
彼らの生き生きとした振る舞いや語り口を想像しながら、お聴きいただければ嬉しく思います。

吉永哲道


*各曲ごとの頭出しの時間は、YouTubeの概要欄をご覧下さい。
(ピアニスト 吉永哲道 https://www.youtube.com/channel/UCtjXmRqPGkGV4LtWluj7ewg




posted by tetsumichi at 09:35| 演奏音源