2022年07月25日

【演奏音源】2011年9月18日の演奏会より。(A.スクリャービンの作品)

【継承されるピアニズム 〜ショパンからロシアロマン派へ〜 吉永哲道ピアノリサイタル】より

A.スクリャービン:
エチュード op.2-1
エチュード op.8-2

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano

2011年9月18日、宗次ホールでの収録


「第2番は間違って解釈されることが多い ─ ドラマチックすぎる演奏が多いが、これは元来悲劇的な音楽なので、情熱は抑制されなければならない」
スクリャービンの音楽の偉大なる解釈者であったヴラディーミル・ソフロニツキーは、作品8-2のエチュードに関してこのように言及しました。

“悲劇性”が、スクリャービンの初期作品における感情の発露を比類なき芸術の域へ高めている事は疑いようがなく、作品2-1のエチュードもまた、悲痛な苦しみの吐露、絶望的な気分に支配された作品と言えるでしょう。
わずか14歳にして、スクリャービンがこのエチュードを作曲し得た事実に……私は人間の創作活動の奇跡を思わずにはいられないのです。

吉永哲道




posted by tetsumichi at 07:00| 演奏音源

2021年12月24日

【演奏音源】2009年3月27日の演奏会より。(P.チャイコフスキーの作品)



【ロシアの鐘、その深遠なる響き 吉永哲道ピアノリサイタル】より

P.チャイコフスキー:
子守歌 op.16-1(P.パプスト編曲)

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano

2009年3月27日、宗次ホールでの収録


《音楽の力が素晴らしいと思えるのは、歓喜だけでなく苦悩をも表現する事にある。》
子守歌に暗く悲しい曲調が多いのは、実親ではなく、子を世話する乳母が自身の身の上の辛さ、苦しさを吐露する歌だからだと言う話を、どこかで聞いた事があります。

1878年にドイツからロシアに移住し、ピアニスト、教育者として活躍したパーヴェル・パプスト(1854-1897)は、チャイコフスキーの作品の校訂なども行っており、彼の音楽をよく理解していたのでしょう(チャイコフスキーの方でも、パプストの音楽家としての才能を高く評価していたようです)。この子守歌の編曲も、原曲の雰囲気はそのままにカノン等の巧みな技術を取り入れ、大変魅力的に仕上げられています。

歓喜だけでなく苦悩をも……例えばこの曲に耳を傾ける時、冒頭のチャイコフスキーの言葉は私たちを深く頷かせてくれるに違いありません。

吉永哲道

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2021年12月21日

【演奏音源】2009年3月27日の演奏会より。(S.プロコフィエフの作品)



【ロシアの鐘、その深遠なる響き 吉永哲道ピアノリサイタル】より

S.プロコフィエフ:
ピアノソナタ第7番 op.83

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano

2009年3月27日、宗次ホールでの収録

2021年、生誕130年を迎えたセルゲイ・プロコフィエフ。

第7番のピアノソナタは、私が初めて“真剣に”取り組んだプロコフィエフの作品です。確か高校1年生の時ですが、当時の私はプロコフィエフ特有の近代的で不協和な響きになかなか馴染めなかったのでしょう、譜読みも遅々として捗らず苦労した記憶が残っています。

2008年、アンドラ国際ピアノコンクールを受けた際にこのソナタをプログラムに入れ、嬉しい事に、審査員長であったロシア人の先生が高く評価してくださいました。
「素晴らしい演奏だった。特に第3楽章で、僕はソコロフの演奏を思い出したよ。けれど、君の演奏にはまだ何かが足りないね。」

まだ何かが足りない。
幸いな事に、当時の自分に何が足りなかったのかを、私は時を経て理解できるようになりました。

2022年2月8日、大泉学園ゆめりあホールでのリサイタルで、久方ぶりにこのソナタを取り上げます。個人的にこの2009年の演奏音源は嫌いではないのですが(笑)、リサイタルでは、一層進化した演奏をお届けしたいと思っています。

𠮷永哲道

posted by tetsumichi at 07:00| 演奏音源

2021年07月28日

【演奏音源】2014年3月22日の演奏会より。(R.シューマンの作品)

【ポリフォニー音楽の神髄 Vol.2 〜知性と情緒の融合〜 吉永哲道ピアノリサイタル】より

R.シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集 Op.6

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano

2014年3月22日、宗次ホールでの収録


《この間、オイゼビウスがそっと戸をあけてはいってきた。この男の蒼白い顔にうかぶ、皮肉な、いかにも好奇心をそそるような微笑は君も知っているはずだ。僕はフロレスタンといっしょにピアノの前にすわっていた。このフロレスタンというのは、君も知っている通り、およそ来るべきもの、新しいもの、異常なものなら何でもみな予感するという、まれに見る音楽的な男の一人だ。しかし、この日はさすがの彼もめんくらった。「諸君、帽子をとりたまえ、天才だ」といってオイゼビウスが楽譜を一つ見せた。標
題は見えなかったけれども、僕はなにげなくばらばらとめくってみた。(中略)
「さあ、やらないか」とフロレスタンがいうと、オイゼビウスが承知したので、僕らは出窓によりかかって耳をすませた。オイゼビウスはまるで霊感がのりうつったようにひいた。》

音楽評論家としてのシューマンは、自らの内にオイゼビウスとフロレスタンという異なる人格を作り、しばしば彼らに会話、議論をさせる形で作品論を執筆しました。

活発で情熱的なフロレスタン。
物静かで夢想家のオイゼビウス。

シューマンの作品を理解する上で大変重要な、対照をなすこれら二つの人格が音楽で顕著に表されたのが、このダヴィッド同盟舞曲集です(初版では各曲の最後に、シューマン自身がフロレスタンの頭文字であるF、オイゼビウスのそれであるEを書き記しています)。
彼らの生き生きとした振る舞いや語り口を想像しながら、お聴きいただければ嬉しく思います。

吉永哲道


*各曲ごとの頭出しの時間は、YouTubeの概要欄をご覧下さい。
(ピアニスト 吉永哲道 https://www.youtube.com/channel/UCtjXmRqPGkGV4LtWluj7ewg




posted by tetsumichi at 09:35| 演奏音源

2021年06月25日

【演奏音源】2014年3月22日の演奏会より。(A.マルチェッロ=J.S.バッハ、J.ブラームスの作品)

【ポリフォニー音楽の神髄 Vol.2 〜知性と情緒の融合〜 吉永哲道ピアノリサイタル】より

J.S.バッハ:
アレッサンドロ・マルチェッロのオーボエ協奏曲によるチェンバロ協奏曲BWV974より アダージョ
J.ブラームス:
3つの間奏曲 op.117

吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano

2014年3月22日、宗次ホールでの収録


《演奏会当日のプログラムノートより》

1892年に心の友とも言うべき親しい間柄であったエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルク夫人(作品79の2つのラプソディーは彼女に献呈されている)と姉のエリーゼが相次いでこの世を去り、50代半ばを迎えていたブラームスはこの頃から死への意識や孤独感をますます募らせていったと伝えられている。
晩年の傑作である作品116から119に至る4つのピアノ小曲集は、その様な心境の中で生み出された。とりわけ、ブラームス自身が「わが苦悩の子守歌」と呼んだ作品117の3つの間奏曲は、ブラームスの心奥の孤独が熟達した書法によって、染み入るように聴き手の心に迫る作品となっている。


安らかに眠れ、我が子よ、安らかに美しく眠れ!

おまえが泣く姿を見るのが私にはたまらない。


冒頭にヘルダー編「諸民族の声」からスコットランドの詩「不幸な母親の子守歌」の二行が銘句として引用された第1曲は、歌うというよりも朴訥と語るような調子で始まる。何かを愛おしく思うが故に味わう苦しみ(ブラームスにとってそれは、恐らく過ぎ去った時間であろう)…この小品では、そういった心理が音楽化されているのではないだろうか。またオクターヴの内声としてメロディーラインを配置するというポリフォニックな書法も、いかにもブラームスらしい。第2曲は、分散和音の動きの上で嘆きを表す二度音程進行を含む旋律が歌われ、ブラームス特有の仄暗い情熱に満ちている。調性や和声の精妙な移ろいは、まさに、作曲家の揺れる心情を代弁しているようだ。ユニゾンで始まる第3曲は陰欝な苦悩の独白である。中間部で少し明るさが垣間見えるものの、再現部ではテーマが一層焦燥感を帯びて現れ、最後は深い嘆息とともに終わってゆく。
かように、この曲集は苦悩や憂鬱を色濃くまとっているが、そうでありながらも、決して絶望には至らず、時に慈しみや安らぎさえも感じさせるのは、人生を諦観したブラームスの境地が反映されているからであろう。孤独が人間の本質である事をブラームスは理解し、ともに生きた。だからこそ、彼の、特に晩年の作品には、人間に対する悲しみを帯びた慈愛の眼差しがあるように私は感じるのである。

吉永哲道








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