どうすれば、ピアノという楽器が柔らかく、歌うような響きを奏でてくれるのか?
いったい弾き手がどう鍵盤に触れると、ピアノは明るい音色で応えてくれるのか?
暗い音は?
春の陽射しの様な暖かみは?
冬の凍てつく様な冷たさは?
心満たす喜びは?
ひとしずくの涙のような悲しみは?
なぜ、私たちは音から温度や心情を感じ取るのだろう?
その鍵を握るのが、倍音。
多彩な音色とは倍音の変化であり、私たちが自分の願う音色を得る為には、倍音をコントロールする術を身に付けなければならない。
そこでタッチの研究が必要になるのだが、タッチと言うと、一般的には指を始めとする、身体の末端部分に関して言及される事が多いのではないだろうか。勿論それも重要だが、順番としてその前に熟慮しなければならない事があると私は思っている。
それは、座る姿勢と、腕及び手の平の中の筋肉の使い方。
理想的な指の動きはあくまで、足の爪先から股関節、丹田の支え、肩を経由して上腕、前腕、そして手の平の中に至るまでの筋肉……それら全てが有機的に働き、身体全体を自然に使えた結果なのだ。何しろ、人間の指は第二関節から先は全く筋肉が付いていないのだから!
かように、技術に関しての考察は本来、適切な筋肉の使い方を知るという極めて具体的な筋肉感覚に依るものであり、それを飛ばしてイメージに頼り過ぎてしまっては優れた技術の習得は困難となるだろう。その上で最も肝に銘じるべきは、ただ単に合理的な身体の使い方(身体にとって合理的な技術)を追い求めても、残念ながらその努力は何の音楽的実りももたらさない事だ。
テクニック(技術)の語源はギリシャ語のテクネーだが、テクネーはまた、芸術をも意味する言葉である。
つまり、技術の鍛錬は創造的思考を深める行為そのものであり、美に対する熟考を伴っていてこそ初めて意義のあるものとなる。
ただ上辺だけの完璧さや正確さ、華やかさを求めるのではなく、常に、音楽を表現する為のテクニックを磨く思慮深さを持つ事。
それ以外に、芸術的演奏に至る道はない。