2019年06月15日

27.一生。

石の上にも三年、という慣用句がありますが、音楽を続ける事は三年どころか石の上に一生と言えるでしょう。


「たとえ周りの人たち皆に『あなたには才能がないから音楽はやめなさい』と言われようとも、音楽の道に進むという自分の気持ちを貫き通す。それくらいの意志がなければ、プロにはなれません」 ── もう随分昔の事になりますが、ある世界的ヴァイオリニストの方が、インタビューでこの様な発言をされていたのを読んだ記憶があります。


プロを目指すならば。

音楽に対して真剣にならなければならない。

音楽の道を気楽に考えてはいけない。

音楽に命をかけなければならない。


才能とは忍耐だ、と言ったピアニストがいますが、優れた音楽家になるには精神、技術両面においていかに忍耐強く、長い、長い時間をかけて自分自身を磨いていけるか、それにかかっていると言っても過言ではありません。

もしも、他人の評価次第で自分の意志が揺らぐならば。

自己鍛錬の過程で、妥協してしまうならば。

その人には、いずれ限界が訪れるでしょう。


自己鍛錬 ── 自分を見つめる事は、大変な辛さをも伴います。

ですが、尽きることのない向上心があれば、その辛さは克服できるはずです。良い音楽家になりたいと心の底から渇望しているならば、どんな嵐が来ようと、じっと石の上に座り続ける事は喜び以外の何物でもないはずですから。


そして、私は思うのです。

それこそが音楽を愛する事なのだと。



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2019年05月05日

25.静寂。

音楽の素晴らしさは、音を鳴らしながらも静寂を伝え得る事にあると思う。

モスクワに留学していた時、ヴォルガ川沿いのヤロスラヴリという街へ遊びに行った事がある。
そこで見た、ヴォルガ川の夜明け。
物音一つ聞こえない穏やかな静けさの中、次第に空が白み始め、やがて陽の光に広大な川面が輝き始める……。
それは、果てしなく豊かな時間を感じる体験だった。

喧騒だけでは、音楽は成り立たない。
聴き手が「静寂が生む豊かさ」を感じられる演奏こそが、本物だと思う。
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2019年03月25日

23.目的は音楽。

私が大野眞嗣先生の門を叩いてから既に9年近くの月日が経つが、いつも感嘆せざるを得ないのが、先生の演奏技術は勿論の事、演奏表現における驚異的なイマジネーションの豊かさだ。
先日もレッスンにて、私には到底思いもつかないようなタッチの使い分けを次々とご指摘いただき、それを実践する事で様変わりしていく自分の演奏に、音楽する事の楽しみや喜びを心の底からかみしめさせていただいた。

楽譜を見た時、一つの音型、一つのフレーズに、どれほど豊かな「イントネーション」を発見する(感じ取る)事ができるか。想像力がなければ、どんなに技術を磨いて楽器の扱いに長けようとも、それは宝の持ち腐れになってしまう。一流の技術を必要とするような教養と音楽的感性が、弾き手になければ……。

技術は、所詮手段に過ぎない。
目的は、音楽。
音楽が技術を求めるのであり、自分の技術で音楽を作ろうとしてはいけない。

大野先生の音楽(先生のイマジネーション)は、目から鱗が落ちる様な音楽体験のみならず、時につい技術を試す誘惑にかられ本末転倒になる私を、あるべき正しい方向へと導いて下さるのである。


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2019年02月05日

21.私の道標。

誰にも、人との会話や読書等の体験を通して、心に深く刻まれた言葉や話があるだろう。


《三人の男が石を運んでいるところに出くわした人が、その三人に訊ねた。

なぜ貴方は石を運んでいるのですか?

一人目はこう答えた。
命令されたからだよ。運べと言われたからやっているんだ。

二人目はこう答えた。
僕には愛する家族がいるんだ。彼らの為に僕は働いている。これが僕の仕事なんだ。

三人目はこう答えた。
向こうを見て。僕たちは今、教会を建てているんだ。これは僕の信仰なんだ。》


モスクワで留学生活を始めて恐らく2、3年目の頃、同じく音楽院に在学していた先輩の日本人ピアニスト(今も私が尊敬してやまないピアニストのお一人である)から聞いたこのお話は、20年近くの年月を経た今尚鮮明に、私の記憶の引き出しにしまわれている。


音楽とは、広義には人間の生き様の表れだ。

つい目先のことばかりに気を取られあくせくしがちな日々にあって、私はしばしば、“命令されたからか、愛する者の為なのか、自分の信仰によってなのか。人の生き方には、大きく分けてその三つのステージがあるんだよ。これは神父様から聞いたお話だけれど……”と、友人が穏やかな口調で教えてくれたこの話を思い出し、三人の男の返答に例えられた人生のステージについて考える。



自分が、どの人生のステージで生きているのか。

自分は、どの人生のステージで生きるべきなのか。


この自問自答の過程に、音楽に対して常に謙虚である為 ── 人生を正しく歩んでいく為の道標があるからだ。


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2019年01月25日

20.音色の追求。

《私は進むべき絵の道を、色彩によって切り開いてきた》

本の帯に印刷されたこの言葉が目に飛び込んできた時、私は思わずハッとした。


《色彩が豊かなところには人が集まり、生きる喜びが交錯する。多様な色を持つ社会では一人ひとりが個性をきらめかせ、のびのびと生きることができる。そう気がついたのは二十八歳のとき、留学先のイタリアでのことだった。この国の太陽を浴び、地中海の風を吸い込んだ私の絵は、たちまち縦横無尽の色で埋まるようになる。「絹谷さんの絵は生のエネルギーがあふれる人間賛歌だね」と言ってくださる方があるが、私は進むべき絵の道を色彩によって切り開いてきたと言っていい。(中略)
「じゃあ、世の中から色がなくなったらどうなるかな」。私は子供たちに問いかける。
たとえば喪服。愛する人を亡くしたとき、私たちは悲しみに沈むため色を捨てて喪に服す。あるいは宇宙や深海、三〇〇〇メートル超の高山を思い浮かべてみてもいい。色数が極端に少ない、こうした場所で生物が生きていくのは難しい。多様さのないひと色の社会からは活力が失われてしまうのだよ──。
子供たちは我先にパレットを広げ、思い思いの色で画用紙を染めていく。
私は今年(二〇十六年)七十三歳になった。ひたすらに絵を描き、生きてきた。よくぞ生活できたものだと自分でも思う。年を重ねると、人は「わび・さび」に向かいがちだ。しかし、心を干からびさせないように、ますます多くの色に身を浸していたい。》
『絹谷幸二・著/絹谷幸二 自伝』より

音楽にも、全く同様の事が当てはまる。


多彩な音色は、作品そのものに命を与え輝かせる。

色彩の豊かさが、奏者の精神を作品の更なる深みへと至らしめる。

多種多様な音色の世界に身を置く事で、奏者の感性は益々豊かになる……。


音色を求めての試行錯誤は、突き詰めようとすればするほど益々興味深く、終わりなき道となるのだ。

歩めども、歩めども。


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