2020年06月15日

32.教師も、生徒も。

インターネットを利用しての遠隔レッスンを導入し始めた4月中旬頃から、改めて、教師とは何か、教育とは……と言った事に思いを巡らせるようになりました。

私は仕事の一つとしてピアノを教える事に従事していますので、それに限ってのお話ですが、生徒のテクニックの土台(技術面での基礎)を作る為には、教師が手取り足取り、言葉は悪いのですが調教の如く、徹底して叩き込まなければいけない時期が確かにあります。
ですが、ある時期を過ぎての調教の様な教え込みは“教え過ぎ”となり、生徒の自主性を摘み取ってしまったり、柔軟な思考の妨げとなる固定観念を形成させてしまう危険性を多分にはらんでいます。

上手くなりたいと思う生徒は、自分自身で考え、努力をします。
教える立場の人間がすべき事は、彼らの努力を熟視し正しい方向に導く事。決して、調教の様に技や自身の作品に対する解釈を教え込む事ではありません。

教え育てるというのは、本来大変長い年月を要するプロセスであるはずです。
何せ、人が10年、20年かけて成長していくのを待たなければならないのですから。
ところが現代では、分かりやすい、目に見えて成果の現れる教え方が良しとされている風潮が強い様に感じます。早くに結果を求める事が全く無価値とは言いません。それはそれで一つの在り方、考え方でしょう。ですが多くの場合……そこに教える側の見栄やエゴ、教わる側の怠慢があるように思えてならないのです。

教える事は容易い、けれど、育てる事は本当に難しい。
教わる事は容易い、けれど、育つ事は本当に難しい。

「急いては事を仕損じる」と言う言葉があります。
人生という長いステージで本当に良いものを獲得するには、教える側も教わる側も時間をかける事の価値を知り、思慮深くあらねばならないのですね。


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posted by tetsumichi at 07:00| 音楽について