本の帯に印刷されたこの言葉が目に飛び込んできた時、私は思わずハッとした。
《色彩が豊かなところには人が集まり、生きる喜びが交錯する。多様な色を持つ社会では一人ひとりが個性をきらめかせ、のびのびと生きることができる。そう気がついたのは二十八歳のとき、留学先のイタリアでのことだった。この国の太陽を浴び、地中海の風を吸い込んだ私の絵は、たちまち縦横無尽の色で埋まるようになる。「絹谷さんの絵は生のエネルギーがあふれる人間賛歌だね」と言ってくださる方があるが、私は進むべき絵の道を色彩によって切り開いてきたと言っていい。(中略)
「じゃあ、世の中から色がなくなったらどうなるかな」。私は子供たちに問いかける。
たとえば喪服。愛する人を亡くしたとき、私たちは悲しみに沈むため色を捨てて喪に服す。あるいは宇宙や深海、三〇〇〇メートル超の高山を思い浮かべてみてもいい。色数が極端に少ない、こうした場所で生物が生きていくのは難しい。多様さのないひと色の社会からは活力が失われてしまうのだよ──。
子供たちは我先にパレットを広げ、思い思いの色で画用紙を染めていく。
私は今年(二〇十六年)七十三歳になった。ひたすらに絵を描き、生きてきた。よくぞ生活できたものだと自分でも思う。年を重ねると、人は「わび・さび」に向かいがちだ。しかし、心を干からびさせないように、ますます多くの色に身を浸していたい。》
『絹谷幸二・著/絹谷幸二 自伝』より
音楽にも、全く同様の事が当てはまる。
多彩な音色は、作品そのものに命を与え輝かせる。
色彩の豊かさが、奏者の精神を作品の更なる深みへと至らしめる。
多種多様な音色の世界に身を置く事で、奏者の感性は益々豊かになる……。
音色を求めての試行錯誤は、突き詰めようとすればするほど益々興味深く、終わりなき道となるのだ。
歩めども、歩めども。
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