これらの言葉は、モーツァルトの音楽に相応しいと言えるだろうか?
例えば、KV.475のファンタジーの冒頭部分を支配する、言い知れぬ不気味さ。ユニゾンによる、奇妙に歪められたハ短調の音階の響きに、私はまるでありとあらゆる感情が排除されたかの如く深い闇を感じるのだ。
いったい、どんなモーツァルトの心理状態がこのテーマを生み出したのだろう?
そして、休符。
モーツァルトの音楽において、休符は非常に重要な役割を担っている。
生き生きとした語り口の彼が、不意に口をつぐむ瞬間。
ハ短調のファンタジーの冒頭にもこの沈黙が現れるが、主題の重苦しい楽想故、その沈黙は一層の緊張を伴い聴き手の心に入り込んでくるようだ。
モーツァルトが、音楽史上稀に見る天賦の才を持つ人物であった事は、疑いの余地がない。
その作曲のペースを考えても(単純計算でも、オペラやシンフォニーと言った大曲も含めコンスタントに約2週間で1曲を書き上げていた事になるそうだ)、恐らく、とめどなく溢れ出てくる音楽を書き留める為にひたすら五線紙にペンを走らせる、そんな感覚だったのだろうと想像される。
しかし、物に光が当たれば必ず影ができるように、その天才性が輝けば輝くほど、同等の闇が生まれたのではないか。
流暢であるが故の、沈黙。
眩いばかりの才能の煌めき故の、闇。
それら両極の間で翻弄されながら生きる事が、音楽に愛され稀有なる才能を授けられたモーツァルトの宿命であったのかも知れない。
彼の音楽が持つあまりに純粋無垢な悲しみや、ふとした瞬間に現れる深い闇を感じる時、私はそんな事を思わずにいられないのだ。
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