私は音楽を聴く。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが
ピアノの為に書いた小品のような
素朴で美しい音楽を。
イサーク・レヴィタン(Исаак ЛЕВИТАН 、1860〜1900)。
このロシアの風景画の名匠の名も作品も、私はモスクワへ留学するまで全く知らなかった。
ある時音楽院のロシア語の授業で、私がレヴィタンの絵画を好きだと知った先生が、彼の絵画について教えて下さった事がある。
『ヴラディーミルカ(Владимирка)』と題された、地平線に向かって伸びるだだっ広い一本道と、どんよりと曇る空が描かれた一枚の大きな絵。
一見それだけなのだが、よくよく見ると、中央より左寄りの地平線上に小さな教会が描き込まれている事に気付く。
ドストエフスキーの『罪と罰』の中にも出てくる、かつてシベリアへ流刑となった人々が必ず通った道であるヴラディーミルカ。そして、彼方の地平線上に小さく描かれた教会。これらが意味するのは、流刑される人々の絶望と、ひょっとしてその先にあるかもしれない僅かな希望……そんなお話だった。
チャイコフスキーの作品、例えば、『四季』作品37bのページを開いてみよう。
そこには、四季折々の情景とともに、都会の喧騒から離れ自然が身近であるからこそ感じられるほんのささやかな変化、それを体験する人々の繊細極まりない情感が、鮮やかに描写されている。私がレヴィタンの絵に音楽を感じる、何故かチャイコフスキーの音楽を連想するのは、音楽と絵画という分野の違いはあれど、彼らが風景を通してその地に生きる人々の《魂》を歌い、描いたからではないかと思っている。
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