2018年06月25日

8.調和する響きに。

それは
100年経っても
響き続けているのかも知れなかった……
人の記憶に
永遠に残るが如く


私が日頃から愛聴しているCDの一枚にタチヤーナ・ニコラーエヴァ弾くJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集があるのだが、その魅力を一言で申し上げるならば、演奏が常にハーモニーの響きで満ち溢れている、と言う事に尽きる。
その芳潤たる響きは、私に理屈抜きでバッハの音楽を味わう喜びを与えてくれ、何度聴いても褪せる事がない。

ピアノの前に座り、ド、ミ、ソ、の3つの鍵盤を押せば、誰でも和音を鳴らす事できるが、これをハーモニーとして響かせるのはすこぶる難しい。3つの音がハーモニーとして調和した響きを成す為には、一音一音が倍音豊かな柔らかい響きになっていなければ決して混ざり合わないからだ。
ド、ミ、ソ、と言う3つの音を同時に弾く(もしくは聴く)事と、ド、ミ、ソ、のハーモニー(調和した響き)を味わう事は、全く別の行為と言っても過言ではないだろう。

バッハは難しい、バッハがよく分からない……と言う生徒に出会う事が度々ある。
私は、極論かも知れないが、ハーモニーの響き、つまり倍音に耳が開く事、そして、倍音を豊かに鳴らすタッチを習得する事が、バッハの音楽の深淵への扉をその人自らで開ける為の鍵になると思うのだ。
バッハの思想は、その豊かなハーモニーの中に息づいているのだから。

そんな事をつらつら考える度に、私は改めてこの大作曲家の偉大さを思う。
平均律第1巻、第1番のプレリュードを四声体で弾いてみよう。立ち現れるのは、崇高この上ないコラール……作品の魂だ。
なぜ彼は、平均律の幕開けにこのプレリュードを置いたのか?
私には僅か2ページのこの楽曲が、「ハーモニーこそが音楽の心である」と言うバッハからのメッセージであるように思われてならない。

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posted by tetsumichi at 07:00| 作曲家