それでは、ピアノはどうだろうか?
単純に打楽器と認識されてしまう事も多いピアノだが……“ハンマーで打つ事で弦を振動させ、響きを生じさせる”という仕組みを考慮するならば、ピアノは明らかに打楽器ではなく打弦楽器、そう、弦楽器に分類されて然るべきと言える。
弦楽器である以上、力んで打鍵する、つまり弦にハンマーを押し付けるような弾き方をしてしまっては、響きは殺され、楽器がもはや楽音とは呼べない悲鳴をあげるのは当然の事だ。
最小のエネルギーでいかに弦をよく振動させるか。
弦がよく振動していればしているほど、響きに含まれる倍音成分が豊かになり、響きそのものが歌い始めるのだ。
先月の記事(「3.響きに思う。」)で、ロシアでは《打鍵》に相当する言葉はなく《鍵盤に触れる》と表現する、と書いたが、ピアノが弦楽器であると言う観点からも、鍵盤を打ってしまっては絶対に伸びやかなよい響きは得られない。
恩師、故ヴェーラ・ゴルノスターエヴァ先生の言葉を借りよう。
《私が、愛する者に触れるかのように、優しさを込めてピアノに触れると、ピアノも同じ優しさを持って応えてくれる。私がピアノに接するように、ピアノも私に接してくれる……。
ピアノにただやみくもに突進してはいけない。ピアノは無造作にたたかれることには耐えられないのだ。》
勿論、ただ触れるだけでは楽器は歌わない。
いかに触れるかに、優れた奏者は心を砕く。
ヴァイオリニストが、チェリストが、弓を弦に力任せに押し付けてしまったらどんな結果が待っているだろうか。
ピアノもまた紛れもなく弦楽器である事を、私たちは常に心に留めておかなければならない。
力ではなく、腕の重みを使って楽器を慈しむように。
あなたがピアノに接するように、ピアノもあなたに接してくれるのだから。
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