J.S.バッハ:
アレッサンドロ・マルチェッロのオーボエ協奏曲によるチェンバロ協奏曲BWV974より アダージョ
J.ブラームス:
3つの間奏曲 op.117
吉永哲道(ピアノ)
Tetsumichi YOSHINAGA, piano
2014年3月22日、宗次ホールでの収録
《演奏会当日のプログラムノートより》
1892年に心の友とも言うべき親しい間柄であったエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルク夫人(作品79の2つのラプソディーは彼女に献呈されている)と姉のエリーゼが相次いでこの世を去り、50代半ばを迎えていたブラームスはこの頃から死への意識や孤独感をますます募らせていったと伝えられている。
晩年の傑作である作品116から119に至る4つのピアノ小曲集は、その様な心境の中で生み出された。とりわけ、ブラームス自身が「わが苦悩の子守歌」と呼んだ作品117の3つの間奏曲は、ブラームスの心奥の孤独が熟達した書法によって、染み入るように聴き手の心に迫る作品となっている。
安らかに眠れ、我が子よ、安らかに美しく眠れ!
おまえが泣く姿を見るのが私にはたまらない。
冒頭にヘルダー編「諸民族の声」からスコットランドの詩「不幸な母親の子守歌」の二行が銘句として引用された第1曲は、歌うというよりも朴訥と語るような調子で始まる。何かを愛おしく思うが故に味わう苦しみ(ブラームスにとってそれは、恐らく過ぎ去った時間であろう)…この小品では、そういった心理が音楽化されているのではないだろうか。またオクターヴの内声としてメロディーラインを配置するというポリフォニックな書法も、いかにもブラームスらしい。第2曲は、分散和音の動きの上で嘆きを表す二度音程進行を含む旋律が歌われ、ブラームス特有の仄暗い情熱に満ちている。調性や和声の精妙な移ろいは、まさに、作曲家の揺れる心情を代弁しているようだ。ユニゾンで始まる第3曲は陰欝な苦悩の独白である。中間部で少し明るさが垣間見えるものの、再現部ではテーマが一層焦燥感を帯びて現れ、最後は深い嘆息とともに終わってゆく。
かように、この曲集は苦悩や憂鬱を色濃くまとっているが、そうでありながらも、決して絶望には至らず、時に慈しみや安らぎさえも感じさせるのは、人生を諦観したブラームスの境地が反映されているからであろう。孤独が人間の本質である事をブラームスは理解し、ともに生きた。だからこそ、彼の、特に晩年の作品には、人間に対する悲しみを帯びた慈愛の眼差しがあるように私は感じるのである。
吉永哲道