2021年01月15日

34.マズルカに想う。

フレデリック・ショパンの作曲家としての功績の一つに、ポロネーズやマズルカなどのポーランドの伝統的な舞曲を、器楽作品として芸術の域にまで高めた事が挙げられます。


ショパンが最初にマズルカを作曲したのは、1820年の事。
そして白鳥の歌となった作品が、亡くなるおよそ2週間前に書かれたと伝えられる、へ短調のマズルカ(作品68-4)。


10歳から39歳までの間、彼が折に触れて作曲し続けたマズルカは、人が誰に語るともなく文章を綴る様な、生涯に渡って書き綴られた日記とも言えるでしょう。
ショパンのマズルカにじっと耳を傾ける時、私たちは在りし日の彼の心情の告白を聴く事になるのです。


《ショパンは、野辺に落ちた農民の涙をダイヤモンドに変えた。》


ショパンと親交のあったポーランドの詩人、ツィプリアン・ノルヴィトがこんな言葉を残しています。
なぜ、涙なのか。
それはノルヴィトが、ショパンのマズルカの根底にある胸を締め付けられる様な悲しみ、そっと触れなければ壊れてしまいそうな儚さを、深く理解していたからではないでしょうか。

ショパンの人生を、私たちは彼の作品を通して追体験する。
その喜びは何にも代え難く、まさに音楽の奇跡と、私には思われるのです。


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posted by tetsumichi at 07:00| 作曲家