2018年08月26日

【終了御礼】同志。

8月18日、ヤマハ銀座店6Fサロンでのバス歌手渡部智也氏との「第2回ロシア声楽コンクール 受賞記念コンサート」が、盛況の内に終了致しました。
お越し頂きました皆様に、心より御礼申し上げます。

何をしたいのかではなく、何をすべきなのか。
それが明確になると、人生は実にシンプルに、迷いなく生きる事ができます。
私がもう10年以上渡部氏の伴奏を続けさせて頂いているのは、そんな彼の生き方に共感しているからだと、今回の演奏会は、改めてそれを強く実感する機会となりました。
ピアニストは孤独です。
だからこそ、志を共にできる共演者との出会いは一生の財産となる、なり得ると、私は思っています。

今後とも、私たちの活動をお見守り頂ければ幸いです。
感謝を込めて。

吉永 哲道

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2018年08月25日

15.耳慣らし。

耳慣らし、という言葉が正確な日本語なのかどうかは分からないが、私にとって、普段の練習や演奏会のリハーサルを始める前の〈耳慣らしの時間〉は、ちょっとした儀式のようなものだ。

ピアノの前に座る。
だが、いきなり沢山の音や曲を弾くような事は決してしない。
ペダルを踏み、好きな音を一音、ポーンと響かせる。
弱音ならばなお良い。
そして、その響きの行方にじっと耳を傾ける……。

響きがただ衰退していくのではなく、あたかも自分から遠ざかっていくように感じられるならば、耳の準備が整ったと言えるだろう。
何の?
音が生じた後の響きの変化を聴く、つまり倍音を聴く耳の態勢である。
(前回の記事で書いたように、多彩な音色は倍音の変化である)

もう何年も前の事になるが、演奏会前のリハーサルを終えた後に、「最初、まるで調律をしているみたいでしたね」と言われた事がある(笑)。

響きの行方を聴く。
あなたは、聴く準備が整う前に弾いてしまってはいないだろうか?


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2018年08月15日

14.技術を磨く。

どうすれば、ピアノという楽器が柔らかく、歌うような響きを奏でてくれるのか?
いったい弾き手がどう鍵盤に触れると、ピアノは明るい音色で応えてくれるのか?
暗い音は?
春の陽射しの様な暖かみは?
冬の凍てつく様な冷たさは?
心満たす喜びは?
ひとしずくの涙のような悲しみは?
なぜ、私たちは音から温度や心情を感じ取るのだろう?


その鍵を握るのが、倍音。
多彩な音色とは倍音の変化であり、私たちが自分の願う音色を得る為には、倍音をコントロールする術を身に付けなければならない。
そこでタッチの研究が必要になるのだが、タッチと言うと、一般的には指を始めとする、身体の末端部分に関して言及される事が多いのではないだろうか。勿論それも重要だが、順番としてその前に熟慮しなければならない事があると私は思っている。
それは、座る姿勢と、腕及び手の平の中の筋肉の使い方。
理想的な指の動きはあくまで、足の爪先から股関節、丹田の支え、肩を経由して上腕、前腕、そして手の平の中に至るまでの筋肉……それら全てが有機的に働き、身体全体を自然に使えた結果なのだ。何しろ、人間の指は第二関節から先は全く筋肉が付いていないのだから!

かように、技術に関しての考察は本来、適切な筋肉の使い方を知るという極めて具体的な筋肉感覚に依るものであり、それを飛ばしてイメージに頼り過ぎてしまっては優れた技術の習得は困難となるだろう。その上で最も肝に銘じるべきは、ただ単に合理的な身体の使い方(身体にとって合理的な技術)を追い求めても、残念ながらその努力は何の音楽的実りももたらさない事だ。
テクニック(技術)の語源はギリシャ語のテクネーだが、テクネーはまた、芸術をも意味する言葉である。
つまり、技術の鍛錬は創造的思考を深める行為そのものであり、美に対する熟考を伴っていてこそ初めて意義のあるものとなる。

ただ上辺だけの完璧さや正確さ、華やかさを求めるのではなく、常に、音楽を表現する為のテクニックを磨く思慮深さを持つ事。
それ以外に、芸術的演奏に至る道はない。

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2018年08月12日

CD『G線上のアリア 〜J.S.バッハと珠玉の小品たち〜』販売のお知らせ。

CD『G線上のアリア 〜J.S.バッハと珠玉の小品たち〜』の販売を開始致しました。
J.S.バッハの作品及び、これまでに演奏会のアンコール等で弾いて参りました小品を収録しております。
HPでもご注文を承りますので、どうぞお問い合わせ下さい。
尚、アーカイヴにてバッハのフランス組曲よりアルマンドをご試聴頂けます。
吉永哲道

『G線上のアリア 〜J.S.バッハと珠玉の小品たち〜』
吉永哲道(ピアノ)

〈収録作品〉
◆J.S.バッハ=F.ブゾーニ:
コラール前奏曲「来たれ、異教徒の救い主よ」 BWV659
◆J.S.バッハ:
フランス組曲第1番 ニ短調 BWV812
◆W.A.モーツァルト=F.リスト:
アヴェ・ヴェルム・コルプス
◆F.ショパン:
ポロネーズ第3番 イ長調 op.40-1(通称「軍隊」)
マズルカ 嬰ハ短調 op.63-3
エチュード ホ長調 op.10-3(通称「別れの曲」)
◆F.メンデルスゾーン:
無言歌集より ホ長調 op.19-1(通称「甘い思い出」)
◆R.シューマン:
《子供の情景》op.15より「トロイメライ」
◆J.ブラームス:
間奏曲 イ長調 op.118-2
◆M.グリンカ:
「別れ」 ノクターン
◆S.ラフマニノフ:
プレリュード 嬰ハ短調 op.3-2(通称「鐘」)
◆J.S.バッハ=A.ジローティ:
管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV1068より エール(通称「G線上のアリア」)

吉永哲道(ピアノ)
録音:2018年5月7日、大泉学園ゆめりあホール
定価:2,500円(税込)

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2018年08月05日

13.ポゴレリチの演奏に思う。

先日、師匠である大野眞嗣先生のご自宅で、NHKで放映されたポゴレリチが奈良の正暦寺福寿院客殿でピアノを演奏する映像を見せて頂いた。

何と言えばよいのだろう……シンプルでありながら、非常に多くを語りかけてくる演奏。
雄弁でありながら、水を打ったような静寂に支配された演奏。

“演奏活動から遠ざかっていた時期に、とにかく響きに耳を傾ける事を課題としました。”
“響きの構造に耳を傾けるのです。”

演奏の合間に挿入されたインタビューの中でその様な話があったのだが、ただひたすらに立ち昇る響きに耳を澄ませ作品の深奥へ分け入っていくその演奏には、静かでありながら強烈な存在感があり、引き込まれずにはいられなかった。

演奏には情熱が必要だ。
だが奏者の情熱(エネルギー)が何に費やされるかによって、その演奏は全く異なる印象を生む結果となる。ポゴレリチは私ごとき凡人が想像もつかない程、“響きに耳を傾ける”事に膨大なエネルギーを費やしているのだろう。
弾くのではなく、聴く。
それを極限まで突き詰めると、人は瞑想の境地へ至るのかも知れない。

改めて思った。
響きを聴くとは、何と奥深く、神秘的な行為なのだろうと。



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