2018年07月20日

11.想像力

何処にも行った事のない小さな子供に、
遠い旅から帰ってきた大人が話をしている。
別の国の人々がどんな暮らしをしているか……
想像してほしい。
これは19世紀中頃のお話。
今の時代は、ヨーロッパでもロシアでもアメリカでも、
よその国の事をテレビなどで見聞きできるけれど、
シューマンが生きていた頃はその様な事はなかった。
見知らぬ異国に、自分たちとは全く違う人々が住んでいる。
そんなお話を、綺麗な目をした子供たちが
その目を見開いて聞いている。
ここには、何かそう言った驚きがある。


R.シューマンのピアノ作品、『子供の情景』作品15の第1曲、“見知らぬ国と人々について”にまつわるお話。
こう言うお話を聞くと、人間の想像力を育むものとは何なのだろうと、改めて考えさせられる。そして、彼ら(クラシック音楽の作曲家たち)がいったいどれ程の豊かなイマジネーションを持っていたのだろうと。更には、その音楽を私たちが弾く意味は何なのだろう……果たして演奏家は作品から何を受け取り、何を聴衆と分かち合うべきなのだろうと。

そんな事に想いを馳せると、また演奏の在り方の一つの理想が見えてくる(前回の記事では、作曲家の良心について書かせて頂いたが)。
それは、想像力。
とりわけ、ロマン派時代の作品は芸術家の詩的想像の宝庫だ。
情景、物語……何でもよい。
その演奏から聴き手が何か新鮮な驚きと自由な想像を得られるならば、こんなに素晴らしい事はないと思う。
posted by tetsumichi at 07:00| 音楽について

2018年07月15日

10.良心。

「私はこれをしなければならない」と言う
使命感に突き動かされて、
行動している人がいる。
「私はこれをしたい」と言う
自分の欲求を叶えようとして、
行動している人がいる。
あくまで生き方の違いであり、
是非の問題ではない。
ただ私は、
前者の様な生き方をしている人たちに
心をひかれる。


『できるだけの善を行うこと、
何にもまして自由を愛すること、
そして、たとえ王座のためであろうと、
決して真理を裏切らないこと。』
L.v.ベートーヴェン

音楽史上初めて、音楽家は職人ではなく芸術家でなければならない、との意志表明をした人物が、ベートーヴェンであると言われている。彼の音楽が不滅であり、人々の心を感動させ続けているのは、何よりその根底に力強い良心があるからだろう。

音楽に誠実である事。
人生に誠実である事。
良心を失わない事。

勿論、ベートーヴェンも人間だった。
私はその音楽、存在を盲目的に神聖化するつもりは全くないが、それでも尚、かくも自身の良心に忠実に生きたベートーヴェンの人生に驚きを禁じ得ない。
心を導く。
恐らくそれが、芸術の力なのだ。

かように、音楽作品とは、突き詰めると作曲家の良心の結実とは言えまいか。
そして、作品に込められた彼ら(作曲家たち)の良心を演奏家と聴衆の間で共有出来る場が、演奏会なのだと思う。
演奏会が、奏者の自己満足(力量のアピール)に終わってしまってはいけない。
ただ聴き手を楽しませる事が、第一目的になってしまってはいけない。
なぜなら、これらは全て、演奏者側からの一方通行になり得る危険性をはらんでいるからだ。音楽を「共有する」事が私たちに聴く喜びや深い感動をもたらすのであり、演奏者側に「分かち合い」の思いがなければ、文化としての音楽の価値は著しく低下してしまうように思う。

真の芸術とは、決して刹那的な娯楽ではなく、私たちに生きる希望を与えてくれるものなのだから。


20180715.JPG
posted by tetsumichi at 07:00| 音楽について

2018年07月05日

9.ロシアのおどり。

ロシアのおどり。
私が小学1年生の時に作った曲のタイトルである。
当時我が家には母所有のレコードがあり、私には、ヴァン・クライバーン弾くチャイコフスキーのピアノコンチェルト第1番やラフマニノフの第2番、アルテュール・グリュミオーのヴァイオリンの音色(クライスラーの愛の喜び、愛の悲しみ、を知ったのは、グリュミオーのレコードだったと思う)等を、一流の演奏家への淡い憧れを抱きながら聴いていた記憶が残っている。確かそれらの中の1枚に、東欧の民族衣装を着て踊る人々の写真が載っているジャケットがあり、そこからイメージを得て作曲したのではなかったか。ただ、それが本当にロシアだったのかは今となっては定かではなく、このタイトルは、写真の雰囲気が“何となくロシアっぽく”感じられたと言う、子供特有の無邪気さで付けただけだったのかも知れない。

時を経て、約14年後の1998年9月。
私はモスクワへ留学する事となった。
作曲当時の幼き日、将来自分がロシアの地で留学生活を送る事になるなど、一片たりとも想像していなかっただろう。

人生とは、まことに面白いものだ。


*写真は、私が10年間暮らした国立モスクワ音楽院学生寮(2015年9月撮影)

180705JPG.JPG
posted by tetsumichi at 07:00| モスクワ

2018年06月29日

【演奏会情報】第2回ロシア声楽コンクール受賞記念コンサート詳細

第2回ロシア声楽コンクール受賞記念コンサート
渡部智也(バス)/プロフェッショナル部門 一般 第1位
吉永哲道(ピアノ)/最優秀伴奏者賞


チケットの取り扱いを開始致しました。
お申し込みはこちらまで。
→ mv-pro@live.jp
グリンカ及びムソルグスキーの作品を中心とした、ロシアンプログラムをお届けします。
是非お運び頂ければ嬉しく、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
渡部智也、吉永哲道


〈日時〉
2018年8月18日(土)14:00開演(13:30開場)
〈会場〉
ヤマハ銀座コンサートサロン(ヤマハ銀座ビル6F)
〈出演〉
渡部智也(バス)
吉永哲道(ピアノ)

〈曲目〉
[ピアノ独奏]
M.グリンカ:ノクターン「別れ」
M.ムソルグスキー:展覧会の絵
[バス歌唱]
M.グリンカ:歌曲集「ペテルブルクの別れ」より
M.ムソルグスキー:オペラ《ボリス・ゴドゥノフ》より「ボリスの死」


〈入場料〉
全自由席 3,000円
〈主催〉
株式会社ヤマハミュージックジャパン
〈後援〉
日本・ロシア音楽家協会、愛知ロシア音楽研究会
〈制作〉
音楽企画「マイスキーヴェーチェル」
〈チケットお問い合わせ〉
mv-pro@live.jp
 
 
20180818fb.jpg

 
posted by tetsumichi at 11:00| 演奏会情報

2018年06月25日

8.調和する響きに。

それは
100年経っても
響き続けているのかも知れなかった……
人の記憶に
永遠に残るが如く


私が日頃から愛聴しているCDの一枚にタチヤーナ・ニコラーエヴァ弾くJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集があるのだが、その魅力を一言で申し上げるならば、演奏が常にハーモニーの響きで満ち溢れている、と言う事に尽きる。
その芳潤たる響きは、私に理屈抜きでバッハの音楽を味わう喜びを与えてくれ、何度聴いても褪せる事がない。

ピアノの前に座り、ド、ミ、ソ、の3つの鍵盤を押せば、誰でも和音を鳴らす事できるが、これをハーモニーとして響かせるのはすこぶる難しい。3つの音がハーモニーとして調和した響きを成す為には、一音一音が倍音豊かな柔らかい響きになっていなければ決して混ざり合わないからだ。
ド、ミ、ソ、と言う3つの音を同時に弾く(もしくは聴く)事と、ド、ミ、ソ、のハーモニー(調和した響き)を味わう事は、全く別の行為と言っても過言ではないだろう。

バッハは難しい、バッハがよく分からない……と言う生徒に出会う事が度々ある。
私は、極論かも知れないが、ハーモニーの響き、つまり倍音に耳が開く事、そして、倍音を豊かに鳴らすタッチを習得する事が、バッハの音楽の深淵への扉をその人自らで開ける為の鍵になると思うのだ。
バッハの思想は、その豊かなハーモニーの中に息づいているのだから。

そんな事をつらつら考える度に、私は改めてこの大作曲家の偉大さを思う。
平均律第1巻、第1番のプレリュードを四声体で弾いてみよう。立ち現れるのは、崇高この上ないコラール……作品の魂だ。
なぜ彼は、平均律の幕開けにこのプレリュードを置いたのか?
私には僅か2ページのこの楽曲が、「ハーモニーこそが音楽の心である」と言うバッハからのメッセージであるように思われてならない。

20180625.JPG
posted by tetsumichi at 07:00| 作曲家